自分の国の中にいる時には、ほとんど意識をすることがない「国境」というもの。
何でもない時には薄い線のようなのに、何かの拍子に壁のようになる。
実際には何の境もないのに、強固な「国」という存在を示してくる。
新型コロナウィルスの世界の動きを見ていて、国境について考えることが増えました。というわけで、今回は国境にまつわる思い出をポロポロ。
海外旅行に出始めたころ、パスポートに各国のハンコを集めるのが楽しかった。今で言う御朱印帳感覚というか。バックパッカー同士でパスポートを見せあってた。インドのVISAを取る時にはインド大使館まで行って、パスポートに大きなVISAのハンコを押してもらったけれど、それさえもマイコレクションの一つという感覚でした。
初めて、国境の難しさを感じたのは、ギリシャからトルコに陸路で越境したとき。銃を持った兵士が詰めていて、待ち時間は長いし、荷物も徹底的に調べられるし。とはいえ両者に関係のない日本の小娘には甘かったと思う。同じバスにいたトルコ人何人かに時間がかかり、半日ぐらいはかかったと思う。たくさんの書類を出している人々を傍目にパスポート一つで通過できた私。日本のパスポートの威力を感じました。
SARSの時に夫が中国の内モンゴル自治区にいました。日本人は帰国するように!って言ってたけれど、本人に状況が伝わっているかも分からない。ニュースで見ていると帰ってくる道筋が日に日に細くなっていく。やばい。これは帰ってこれないかもしれない。国際電話もままならない場所だし、連絡もほとんどない。日本にいる私にはどうしようもない。ただただ待つだけ。そしたら、ある日突然、北京から連絡があった。「明日、帰国する」急きょ仕事を休ませてもらって迎えに行きました。本人曰く、現地に中国政府の旗がついた立派な車が迎えにきたそうな。空港でパスポート片手に出てきた夫を見たときのホッとした感覚は今でも忘れられません。
数年前、家族旅行でベトナムと中国の国境を徒歩で超えました。そんなに大都会なわけじゃないのに、国境の川の両側にはメンツの張り合いとでもいうような不釣り合いな程に立派な建物が睨み合ってました。毎朝、ベトナム側から中国側に向かって仕事にくる人々が橋を走ってくる。今はそうだけど、時世が厳しい時にはどんなだったんだろうなあ。子供たちは、大きな荷物を押しながら走ってくる色とりどりの人たちの姿にびっくりしたみたいです。中国側は漢字の世界。渡った途端にベトナム語(全く読めない)の世界。
カナダのモントリオールにいた時に、メキシコや韓国などの友人たちとアメリカに遊びにいくことになりました。他国の友達は何やらビザを取らないとアメリカに入国できない人がいた。中東の人にはそう簡単にはビザが取れないということでアメリカへの旅行を諦めた人もいた。私の日本国パスポートはビザ不要。同じようにカナダにいて、アメリカに旅行にいくだけなのに、見えもしない国境なのに、持ってるパスポートでこんなにも違うということを痛感しました。
世界中の各地で新型コロナウィルス対策で国境が事実上封鎖されています。見えないウィルスを見えない国境で封じ込める戦い。
春分過ぎたらギアを入れないといけない。太陽の力を借りて、植物や動物たちの勢いが俄然増していくから。ここで他のことに気を取られたら一瞬で追いつけないほどの差をつけられることは痛いほど知っております。
休校続きで手が空いている娘たちも貴重な労働力です。家事もするし、仕事の手伝いもする。発展途上国で子どもを学校にいかせず、家で働かせるっていうのがちょっとは分かってしまった。
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